カニ星雲の記録
- カニ星雲の誕生
- カニ星雲の生
まれた1054年の超新星爆発の記録は中国や日本の記録に載っています。
超新星は月のように明るく見えたのに、ヨーロッパの記録は無いのですね。
ヨーロッパはまだ宇宙に思いを馳せる時代になっていなかったのでしょうか。
アメリカ先住民の洞窟の壁画にもそれと思われる記録画があります。
- そのころの日本は
- 清少納言
が「星は昴、...」といったのは、大体、西暦1000年位の頃。
(966年生まれ。もっとも活躍していたのが、990年前後でしょう。「枕の草紙」が
完成したのが、1001~1003年、といわれている)。
彼女はこの超新星の出現以前に世を去って(1025年ころ)
いたのです。見ていたら何といったいたでしょう。紫式部は
6,7歳年下ですが、若死に(40歳?)なのでやはり見ていません。
藤原頼通が宇治平等院を建てたのが、1053年とあります。更科日記の
作者、菅原孝標の女も見ていたでしょう。
- 「名月記」
- 日本での記録は藤原定家の「名月記」に出ています。ただし、誤解ないようにしないと
いけないのは、定家は超新星を見たわけではなく(名月記はこの超新星の100年も後の
作品)、他の記録を元に記したのです。
- どれくらいに見えたか
- この超新星の本当の明るさは太陽の10億倍位だったでしょう。月位の明るさに
見えたのは、勿論そこまでの距離が遠い(光で6000年くらいかかる)からです。
近くでこんな超新星が爆発していたら、地球は勿論滅亡していたはずです。
良かったですね。
我々は昔、超新星だった!
何を突然、気でも狂ったのかって? いえいえそうではありません。
皆さんが今日あるのは、カニ星雲の超新星以前何10億年も前に起こった超新星
のおかげなのです。皆さんの体を作っている色々な元素は、
実はその昔超新星で作られたのです。水素やヘリュームといった軽い元素は別にして、
体を作っている重い元素は、超新星が爆発した時などにしかできないのです。